夏の思い出
7月です。いよいよ夏。
5月も6月も夏のようだったので今さらという感がありますが。
セミが鳴き始めるのは、もう少し先でしょうか。

これからの季節にぴったりの絵本です。
主人公の「ボク」はクマゼミのクマくん。
この作品は、作者の小亀さんと私の、共通の「記憶」から生まれたといえる絵本です。
夏の記憶、ちょっとだけご紹介しますね。
「音」の記憶
みなさんは、夏というとどんなことを思い出しますか?
花火?海水浴?プール?キャンプ?……
思い出って、思い出すとき、セットになっている音やにおいがありませんか?
私が子育てのはじめの頃をすごしたニュータウンの団地での夏を思い出すとき、脳内再生されるのが、空気全体を満たす、セミの声。空気に一ミリの隙もないほどみっちり満ちた、セミの声です。
あの「夏の音」は、聞いたことのある方にしか分からないかもしれないですね。
私の記憶の中にあるのは、ほぼ、アブラゼミの声。クマゼミはまだいなかった気がします。
たまにミンミンゼミが混じり、少し涼しくなるとカナカナ……というヒグラシが混ざる。
ツクツクボウシはいつ頃だったのかな。
今住んでいるところは、山を切って作られた住宅地。
セミの卵があったかもしれない地面も、大きく削られたのでしょう。引っ越してきてしばらく、夏になってもセミがいないな……と思っていました。
最近やっとセミの声がきこえるようになりましたが、今でもとても少ない気がしています。
(記憶の中のセミの声が大きすぎるだけかもしれません)
いのちを「見る」
団地暮らしの頃は、それだけセミがいたわけですから、もちろん目に見えるセミもすごい数。こどもたちと遊ぶ団地の中の公園にも、セミが出てきた穴がたくさん。当然、抜け殻もそこここに。大きい抜け殻、小さい抜け殻、いろいろ見ました。
ある日の夕方、地面を歩いている「生きた」抜け殻(違います)をみつけ、うちわにのせてもちかえりました。家の網戸にとまらせて、みんなで羽化を見ました。
不思議ですよね、なぜこの形の「幼虫」のなかからまったくちがう「セミ」がでてくるのか。息を殺して見守りました。

きえていく「いのち」もたくさん見ました。団地の廊下でこと切れるセミたち。
地面にひっくり返って、死んでいるのかと思ったらジジジッ!と最後のひとっ飛びをするセミに、何度ひゃあっ!と驚かされたか分かりません。こわかったなあ、あれは。

そうした生と死を身近に、日常の中に見る、夏でした。
『なつのうた』
小亀さんの絵本『なつのうた』(2025年5月発売)は、そんな夏を、セミの目から見たお話。
セミが、地上に出てきてから長くは生きられないことを私たちは知っています。セミ自身は、それを知っているのでしょうか。
でも、そんなことは関係なく、彼らは飛び、歌い、自分の生を生ききります。
彼らも、自分の生を喜び、広い空を美しいと思い、大きな声で歌うことを、そして、その声をほかのだれかと合わせることを、楽しいと思っているかもしれない……この絵本は、そんなことを思わせてくれます。
小亀さんの描く世界は、とてもやさしい。
セミに出会う少年、それを見守るおじいさんのあたたかさ。
大きな木の豊かさや、木の葉を揺らす風にさえ、あたたかなこころを感じます。
なぜか懐かしさを感じる風景や、ちょっとユーモラスな虫たちや、切なさを感じるラストシーン。いろいろな表情で、楽しませてくれます。
絵本の最後に吹いている風。
読者のみなさんも感じてくださるとよいなと思います。